主婦が働かないと、一生を通して○億円の損失…なんてよく聞きますね。
日々を丁寧に暮らしたいから専業主婦でいたい、バリバリ働くのは自分に合わないと思っている。
そう思っていても、世間の風当たりは強くなる一方で、つい焦りや罪悪感が出てしまうこともありますよね。
私が仕事を始めたのも、そういう経緯からです…。生活費云々や自己実現よりも、罪悪感をなんとかしたくて…。
でも最近思うんです。
お金を稼いでるからって、豊かさを得ているとは限らないよなあって。
お金は富の1つに過ぎない
お金があれば、自由度は増えます。
子どもに好きな習い事をさせられたり、高いコスメを買えたり、好きなときに旅行に行けたり。
でもお金は豊の、1つの尺度にすぎません。
時間とか。
心地よさや安心感などの、ポジティブな感情とか。
お金を介さずに与えあっているもの(親切や、愛情、気遣い)とか。
お金を払わずに利用できる道路、図書館、公園とか。
これらもすべて富です。
働いて❝お金❞を得る場合、かわりに❝時間❞という富を差し出すことになります。
だから結果としてはプラマイゼロ。
忙しくてイライラしていたら、むしろ富はマイナスかもしれません。
イライラをおさえるために衝動買いなんてしていたら、さらにマイナスかも。
だから一概に「働いたから豊かさをゲットできた!」とは言い切れないわけで。
それなのに富はお金だけ、と思い込んでいるから、
体調や家族との時間をおろそかにしてまで働いてしまったり、
働いて報酬を得ていない自分に罪悪感を感じたりするのかもしれません。
すでにたくさんの豊かさを得ている、与えている
豊かさ=お金 とは限らない。という目で見てみると。
食べ物があることも、服が着られることも、安全に過ごせることも、そして夫がお金を稼いでくれていることも、ぜんぶ豊かさなんですよね。
私達は、すでにあふれるほどの豊かさを受け取っています。
そして自分も、まわりにたくさんの豊かさを与えています。
お世話して、気を配って、場所を整えて。
そしてあなたがニコニコと嬉しそうにしているだけでも、じゅうぶん豊かさを与えているんです。
働いて「お金」という形で富を受け取って、何かを買うこと。
ゆっくりくつろいで「癒やし」という形で富を受け取って、誰かに笑顔を与えること。
どちらも豊かさを循環させています。
資本主義の世界に生きていると、つい
- お金=富
- たくさん富を得る方がエライ
という幻想に惑わされてしまいます。
でも本当は、時間の余裕があって、大切な人と交流があって、眠る場所や食べるものがそろっていればじゅうぶん豊かさの循環を生み出せているんですよね。
あなたはすでに受け取っているし、与えています。
だから労働力を提供して報酬を受け取る、にこだわらなくていい。
「働いてお金を得た方が、さらに豊かになれそう」と思ったら働いたらいいです。
「働いたら、逆にお金以外の豊かさを失いそう」と思ったら働かなくていいです。
どちらの方が最終的な豊かさをゲットできるかは、人によって違います。
外からワーワー言われても、気にしないで。
自分の心によく聞いて、もし今のバランスがベストと感じるなら、
胸を張って堂々と過ごしてくださいね。