もくじ
世界は、もともと“自分中心”だった
私たちは、生まれたときから「世界の中心」にいました。
泣きたいときに泣いて、眠りたいときに眠る。したいことだけをして、まわりのことなんて考えもしない。
けれど成長とともに、だんだん「まわりに合わせる」ことを学んでいきます。
学校のルール、社会のマナー、他人の気持ち。大人になるとは、いわば「世界の一員」になることでもあります。
でも私は思うんです。
「世界の一員としての自分」をやり尽くしたあとは、もう一度「世界の中心としての自分」に戻ってもいいんじゃないかって。
世界の一員は“流されやすい歯車”みたいなもの

「世界の一員としての自分」は、社会の中の小さな歯車みたいなもの。
自分で動いているようで、実はまわりからの刺激によって動かされていることがほとんどです。
政治家や経営者・インフルエンサーみたいに大勢に影響を与えられる人ならまだしも、
ほとんどの人にとって「世界」はとてつもなく大きくて、コントロール不可能に感じるものだよね。
そうやって流されるうちに、私たちは少しずつ無力感を抱くようになります。
本当は一人ひとり違う個性を持っているのに、歯車のように「枠」におさまってしまって、自分らしさを見失ってしまう。
「どうせ世界は変えられない」「自分の環境もどうにもならない」
——そう思い始めたとき、人生を変えるための大切な“気づき”は遠のいてしまうのです。
世界は「自分が作っているもの」だとしたら?
いろんな本を読んだり、自分の経験をふりかえったりする中で、私はある考えにたどり着きました。それは…
「世界って、1人につき1つずつあるのかもしれない」ということ。
量子物理学の話を聞いていると、やっぱり「パラレルワールド」ってあるんじゃないかって思う。
あなたがこの世界をどう見るか。何に意味を見出し、何を大切に思うか。
そのすべてが、あなたの“世界”を形づくっています。
だからあなたが亡くなると、その世界も消えます。
他の誰かが作った世界は残っても、あなたの世界はあなたにしか持てない。唯一無二のものなんです。
自分中心モードは「考え方のクセ」で育つ

ずっと「流される生き方」をしていると、「自分中心にとらえる」なんて無理!と感じるかもしれません。
実際、私もなかなかうまくいきませんでした。
でも、これは“考え方のクセ”です。
少しずつクセを変えるように、習慣をつけていけばだんだん変わってきます。
たとえば、誰かにひどいことを言われたとします。
昔の私は「傷ついた!ひどい!」で終わっていました。
でも今は、ちょっと時間を置いてからこう考えるんです。
「なぜ今こんなことが起きたんだろう」
「○○さんに言われた言葉って、自分が自分に普段かけてる言葉かもしれない」
「それを教えてくれるために○○さんが現れたのかも」
「この思い込みが生きづらさの原因になってたんだな。手放していこう」
こうして自分中心の“意味づけ”ができるようになると、ほんとうに生きやすくなります。
まとめ。自分の世界を、自分で育てよう

こんな考え方は、もしかすると「変わってる」と思われるかもしれません。
実際、私のまわりにもこんな風に考えている人はほとんどいません。
でも、それでも書きたかったのは、私自身がこの考え方に出会って救われたからです。
「自分が世界をつくっている」
そう思えるだけで、日々がぐっと軽くなることがあります。
今の生き方にちょっと息苦しさを感じている人へ。
よかったら、自分中心モードで世界を見直してみてください。
あなたの世界は、あなただけのものだから。