「なんのために生まれて、なにをして生きるのか」
アンパンマンのマーチで有名なこのフレーズ、最近朝ドラの「あんぱん」でもよく耳にしますね。
私もうつがひどかったときに、ずっと自分に問いかけていました。
(…というより「意味なんてないのに、なんで生きてんの?」っていう怒りに似た気持ちでした)
でも最近やっと、自分なりの答えが見えてきた気がします。
もくじ
気がつけば、親の人生をなぞっていた

本題に入る前に、少し自分語りをさせてください。
最近、息子が進学のため家を出ました。
県外大学なので、本来なら全然地理もわからなくて、オタオタしながら下宿先を探すところなんですが、
ありがたいことに彼が行くのは、私の母校でして。
30年前は自分も住んでいた場所なので、迷いなく決めることができました。
ひょっとして、ひいろさんが当時住んでいたアパートと同じところに住むの?
いや~残念ながらそこはいっぱいで。でもすぐ近くのアパートに決まったよw
先日引越しのため、その付近に出かけて、
30年ぶりに自分が住んでいたアパートも見ました。
少しくたびれていたけど、当時とほとんど変わらない姿で、すごくなつかしかった✨
そのときに強烈によみがえったのが、今は亡き母の記憶です。
30年前、母も今の自分と同じくこの地に来て、テキパキと準備を進めてくれましたが、
当時の私は、それを当たり前と思っていたし、
なんなら「大人なんだし見知らぬ土地で、引っ越し準備をするくらい楽勝でしょ」と思っていました。
でもいざ役割が入れ替わってみると、
ゼンゼン楽勝じゃありませんでした笑
受験のストレスでヘロヘロのまま、車で何時間も移動して現地に入り、家具を手配して必要道具を買って…。
ここ数年で一番がんばったかもしれません。
もともと体力は無いし、今思い出してもよくやり切ったなあ…と自分をほめてあげたい気分です💦
じゃあ、なぜそんなにがんばれたのかというと。
それはひとえに、
旅立つ子どもをかっこよく送り出したい!
この子の役に立ちたい!
という気持ちがあったからです。
しんどいし、これからのさびしさを思うとつらいけれど、でも与えたいという気持ちの方が強かったからできました。
与えているはずなのに、受け取っているような満ち足りた気持ち…というか。
そして、当時の母もきっと同じ気持ちだったんだろうなあと。
そしてこの考えにたどり着いた瞬間、ふと、
「あ、私、これを味わいたくて生まれたんだ」と思ったんです。
口にするとこっぱずかしいけれど、やっぱり、
愛に気づく
ってことだろうなと。
お金稼ぎでもなく、立場を手に入れるためでもなく、自分はこの経験がしたかったのだと確信しました。
与えられた愛を循環させるために、生まれてきた

私の場合は、母の行動をそのままなぞったので、特にわかりやすかったです。
でも、これは私に限ったことではなく、
特に40歳を過ぎてくると、多かれ少なかれ似たような経験をするんじゃないでしょうか。(時期は多少前後するだろうけど)
今までは受け取る側だったのが与える側になってきて、
役目が入れ替わります。
そして、当時与えてくれた人の気持ちもわかってきます。
両方の役目が、ワンセットの体験なんですね。
子どもの卒業式に出席しても、先生側の思いがひしひしと伝わってきて、こっちが泣きそうになるもんね…。(主役は子どもなのに笑)
子どもの頃は、大人たちがそんな風に考えているなんて、思いもしませんでした。
だけど今になって、自分に与えられていた愛情が見えるようになりました。
若い頃は「世界って冷たい」「私は独りぼっちだ」と思っていましたが、
なんと浅はかだったことか。
本当にたくさんのものを与えられていて、しかもその人たちは喜んで与えてくれていたのに。
私は、このことに気づいてから憑き物が落ちてしまいました。
それまでは「人生を終えるまでに何か達成しなきゃ」「何者かにならなきゃ」ってすごく焦っていたんです。
(仕事で実績をあげるとか、子育てを成功させるとか…)
「でもそれ、別にいらなかった」って気づいてしまいました。
地位もお金もあったらもちろん嬉しいけれど、絶対手に入れないといけないものじゃありません。
オマケみたいなもんです。
それよりも、人に愛情を渡して、渡されたことにちゃんと気づきさえすれば、
人生を生きる意味としては十分なんじゃないか。
これが、私が思う答えです。
もちろん、答えは人の数だけあるでしょう。
(ChatGPTに「生きる意味は?」って聞いたら、こんな回答でした)
「生きる意味は、自分で見つけていくもの。
好きなもの、大事にしたい人、楽しいと思う瞬間、
それを積み重ねていく中で、自然とできあがっていくものだよ。」
でも、自分の中では「愛を知ること」。
この答えに到達できたことに満足しています。
人生は、40歳を過ぎると面白くなってくる

以前の私は人生に不満だらけで、自分にもとことん絶望していました。
でも最近、宇宙の采配?みたいなものを感じることが増えてきて、
がぜん楽しくなってきました。
父母は年老いて、子どもも家を出て、友達もめっきり減りましたが、
それでも人生はこれからもっと良くなる、と確信しています。
「何のために生きるのか」と検索するときって、多分、人生がかなりしんどくなっている時期だと思うんです。
でも大丈夫。
人生にはちゃんと自分なりの答えが用意されていて、答え合わせの時期に入ると面白くなってくるはずです。
ただし、手放し・感謝は必要だけど…
もし絶望しそうになったときは、
「この展開にも、きっと伏線回収がある!!」
そう思ってくれたら、少しは希望が見えてくるんじゃないかと思っています(*^^*)