もくじ
がんばることが当たり前の世界で、私はがんばれなかった
私はいわゆる「ちゃんとしたルート」を通ってきました。
進学校に入り、国立大学に進み、就職氷河期の厳しい倍率をくぐり抜けて大手企業に就職しました。
きっと「がんばった人」って言われる人生だったと思います。
でも実際は、体力がない・競争意識を持てない・組織の中にいると息苦しい――そんな自分の性質に、社会のテンプレートが合いませんでした。
結局、出産を機に体を壊し、日常生活が送れなくなり、「普通」のルートからは外れました。
でも今振り返ると、それでよかったって思ってます。
外れたから見えたもの
社会の第一線から離れて、ようやく立ち止まることができて、
そして考えることができました。
「幸せって何だろう?」
「私が本当に求めてることって?」
「この社会って、ちょっと変じゃない?」
たぶん、あのまま「うまくやってる」自分を続けていたら、そんな問いすら持たずに人生が終わっていたと思います。
ひょっとしたら亡くなる間際に思えたかもしれないけど、それだとちょっと遅いかな…って気も。
今の私が大切にしていること
今の私は、役割や肩書き、目標にこだわりません。
いや正確には、まだこだわりが抜け切れてはいないけど、いずれはすべて取っ払いたいと思ってます。
目指すのは、誰かに「えらいね」「すごいね」って言われることじゃなくて、
自分の心に誠実に、淡々と生きる人生。
明日命がなくなっても「まぁ、よくやったよね」って思えるくらい、ていねいに暮らしたいです。
がんばらなくても、幸せになれる社会になってほしい
もちろん、人生にはがんばらないといけない時期もあります。
でもそれは、「がんばらなきゃ認められない」からじゃなくて、「がんばりたいからがんばる」っていう選択であってほしいです。
才能がある人もない人も、努力できる人もできない人も。
みんながちゃんと「幸せ」を感じられる社会って、すごく大事じゃないですか?
幸せの形は人それぞれでいい
「たくさん好きなものを買いたい。だからお金持ちになりたい」もいい。
「スローライフを送りたい」もいい。
「大切な人のそばにいて支え合って生きたい」もいい。
「自分の力で世の中を動かしたい」も、もちろんカッコイイ。
でも「私も我慢してるんだから、あなたも我慢して」は、もう終わりにしたいですね。
間違えても、やり直せる社会へ
人生の選択を間違えることだってあります。
でも間違ったら終わりじゃなくて、「ああ、違ったな」と思ったらすぐに軌道修正できる社会であってほしいです。
「間違えてもOK。そんなときもあるよね」って言い合える、あたたかい空気のある社会。
私は、そんな場所で暮らしたいです。
世間の価値観から、少しずつ自由になろう
きっと今、そういう転換のタイミングが来てると思います。
でももし、まだがんばるのが当たり前になっていて、毎日が「やりたくないこと」だらけで疲れ果てているなら…
少しずつでいいから、世間の価値観を手放してみませんか?
手放すのって、すごく怖いです。
見下されたり、かわいそうと思われたりするかもしれません。
でも自分の誠実に生きると、それだけで心は軽くなります。
たとえ何かを達成できなかったとしても、「まあ、よくやったよね」って思えるはず。
世間に後れをとらないように必死になるよりも、世間の価値観から離れることに目を向けてみませんか?