私は長らくうつを患っていました。
当時は「私には生きる価値がない。なんのために生きてるの?」という問いがグルグル。
仕事にも行けず、子育てもろくにできず、他の人のお世話になるだけ。ただのごく潰しじゃないか。
そう思っていました。
でもそんな苦しい時期を過ぎた今、この問いに対して自分なりの答えがみえてきました。
…ので、今回はその話をしたいなと思っています。
同じような疑問を持つ人の、気づきのヒントになれば嬉しいです(#^^#)
「何を成すか」「何を手に入れるか」は重要じゃない
私たちは幼い頃から「人の役に立ちなさい」と教えられます。
人の役に立てることはすばらしいこと。それは間違いじゃありません。
でも、人の役に立てる が 人の役に立たなきゃいけない に変わってしまうと、人生は一気に重たくなってしまいます。
社会に貢献し続けなくてはいけないし、目に見える価値を生み出さないといけないし、休むこともできません。
何かを生み出し続けないとダメ…行動しない自分には価値がない…そう思っている人、多いと思います。(私もまさにそうでした💦)
でも何を成すかなんて、ホントはどうでもいいんです。
大いなる存在(宇宙とか、天とか、神様?)は、あなたが成果を出すから生まれることを許可したのではありません。
生まれてきたこと自体が、すでに「そこに居ていい」と認められたということなんです。
人生は、愛を見つけていくゲーム
では人生は、なんのためにあるのか。
私がたどりついた答えはコレ⤴です。
若いうちは、この世界のルールに順応していくのに必死で、なかなか思い至りません。
でも少しずつ、この世界には❝愛❞があふれていることに気づくのです。
たとえば、みそ汁一杯にしても。
作ってくれた人・輸送した人・スーパーにならべた人・買い物した人・食材の生産者 の努力があって、やっといただけるにゃ。すっごくありがたいことにゃ。
社会の制度も、学校も、家族も、地域の活動も。
もちろん堅苦しい面はたくさんありますが、随所に「幸せになってほしい」「能力を発揮してほしい」「助けになりたい」という人の思いが見えます。
残酷な面もあるけど、愛もちゃんとある。それに一見残酷に見えるものが、実は愛の「別の形」だったりもします。
この愛を見つけるゲームは、年をとるほど・今までしんどい思いをした人ほど、楽しむことができるはずです。
たくさんの愛を見つけて、お返ししたくなったら返す
私はこう思います。
人生の目的は、スルーすることなく愛をちゃんと見つけてあげて、味わって、そして返したくなったら返すことだと。(下線部はとくに重要!)
自分がムリをしてまで、人の役に立つ必要はありません。
なんなら来世でがんばるわ、くらいのゆる~い気持ちでもいいかも笑
お返しも、労働力でなくちゃいけないわけじゃありません。
「ありがとう」の言葉や、笑顔でもいいんです。
これなら体調が悪くたって、時間が無いときだってできますよね。
もしなんのために生きているのかわからなくなったときは、
まず身近にある愛を探していくことから、始めてみてください。